Sakura、覚悟の唄

 

 こんにちは!ものすごく今更過ぎるのは重々承知の上で、本日は2020年11月21日・22日に配信で行われた「Kansai Johnnys' Jr. DREAM PAVILION ~Shall we #AOHARU?~」で披露された「Sakura(嵐)」についてのお話をしたいと思います、させてください。

 最初に見た時からすごく好きで、大切だとは思っていましたが、時間が経てば経つほど、その大切さが大きくなって、且つ、デビューを控えた今聞く「Sakura」は去年聞いたものとはまた意味が異なって聞こえてくるので、忘れたくない大切な気持ちとして、文章に遺しておきたいと思ったわけです。

 ひたすら「Sakura」の好きなところを挙げていきたいしか考えられていないので、文章としてはまとまりはかなりないと思います(いつもの話ですが)。自分用クソデカ感情メモだと思って大目に見てください(笑)

 

好きなところその①歌割り

 「Sakura」の歌割りは、いい意味で全然ひねっていない、大西畑・トリオ・丈橋という大きな割り方をしているのが、ここにきて原点に戻るようですごく好きなところです。なにわ男子としてキャリアが積み上がっていくにつれ、かつてのシンメに囚われない歌割りも多く見られるようになっていて、それはそれですごくいいし、色々な可能性を感じられるので好きですが、「Sakura」でこのかねてよりの歌割りにこだわっているのがすごくエモーショナルだなと思います。

 Aメロは大西畑→トリオ→丈橋という、なにわ男子結成前の順列を思い出させるような流れで始まりますが、Cメロでは、トリオと丈橋の歌う順番が入れ替わっています。圧倒的存在感大西畑から始まり、支えの丈橋、伸びしろのトリオというなにわ男子の‟型”として、敢えてAメロから変えてきているのが個人的には意図的に思えてしまいます(思い込みだとは思いますし、もちろんパートの長さなどもあるとは思いますが)。

 ついでに申し上げますと、Cメロで一番長いパート且つ大サビに向けての大事なパートをトリオが担っているのも熱い。以前、なにわ男子結成直後の松竹でお兄ちゃん組に怒られているトリオたちがROTでも取り上げられていましたが、その怒られていた子たちが、今やなにわ男子の起爆剤として十分な存在感を放っている。そう思うと、すごく意味のある歌割りなのかもしれない、と思ってしまうのです。

 

好きなところその②両国で歌う(はずだった)意味

 本公演は、そもそも2020年3月に両国国技館で行われる予定の公演で、それ以前に行っていた初のホールツアー「なにわ男子 First Live Tour 2019 ~なにわと一緒に#アオハルしよ?」の追加公演として、よりワールドワイドな視野でという意味で設定された公演でした。公演のタイトルもツアータイトルを英訳したもので、なにわ男子が日本だけでなく、世界を目指していくアイドルになる一歩目だと、すごく感心したのを覚えています。

 そのような位置づけで行われる公演の中で歌われる「Sakura」の意味。日本の花としての桜、そしてジャニーズを、日本を代表する先輩である嵐の楽曲を歌う意味。嵐の活動休止を控えていた時に、次世代を担うであろうなにわ男子がこの歌をカバーするのは意図的としか思えませんでした。後ほど、詳しく述べたいと思っていますが、なにわ男子がこの曲を歌う意味は、「覚悟」としてなのかもしれません。

 

好きなところその③強い覚悟

 盤石の歌割りで偉大なる先輩の曲をカバーすること、これは大きな覚悟があってのことでしょう。さらにここでは歌詞についても触れたいと思っています。あくまでこの曲は嵐の曲であり、嵐のために作られた曲であり、なにわ男子に当て嵌めて考えるのは正しいこととは思いませんが、こればっかりは許してください。

いつか 僕らが世界を変えていくなら

またどこかで生まれてく

与えられた現在を 託された未来へ

そして 明日も何かを探し続けて

何度だって脱ぎ捨てる

始まりを告げて いつまでも いつまでも この心に響け

 サビの歌詞をそのまま引用させていただきました。このサビの歌詞から、ジャニーズの未来を背負っていく覚悟を感じるのは私だけでしょうか。嵐の活動休止後、ぽっかり空いた大きすぎる穴を埋めるのは俺たちだ、そしてこれからの世界を変えていくのも俺たちだ、という強い想いと覚悟がなにわ男子が歌うことによって、そう聞こえてきます。

 当時、まだデビューをしていないJr.の身でありながら、世界を見据えた公演の中で、この曲を歌う意味――。本記事のタイトルにもあるように、「覚悟の唄」と私は思っています。

 

 

 ここからは個人的な好きなポイント、長尾担としての好きなポイントになります(笑)ただでさえない語彙力が死んでしまうことが予想されますが、お許しください(笑)

 

好きなところその④儚さと麗しさの振付

 私は謙杜くんの手が好きです(急な告白)。謙杜くんはまだおぼこい頃から、指先に魂が込められていて、手先がアップされる振付は優しくて儚くて、誰よりも綺麗で美しくて大好きでした。この「Sakura」の振付も、謙杜くんの手が存分に生かされている振付で、ものすごく好きが溢れてしまいます。だんだん語彙力がなくなってきました。

 「だけど夢の中」(Bメロ謙杜くんソロパート)で、斜め上に向けて手を伸ばす仕草、「なぜだろう? この世界は 光と影が寄り添って」(Cメロトリオパート)で優しく包み込む手と指先。ぜんぶぜんぶ大切で大好きな謙杜くんの手が詰められていて、本当にありがとうございます。

 

好きなところその⑤サビでセンターにくる謙杜くん(私信込み)

 あまりセンターに立つことが少ない謙杜くんが、「Sakura」のサビでセンターに立ちます。それだけでもすごくすごくうれしくて、泣いてしまうようなことなのに、この曲でそれを見られたことが特別な理由があります。ここからめちゃくちゃ自分の話です。

 春に生まれ、桜を背負って生きていく私にとって、桜はすごく特別で大好きな花です。さらに、謙杜くんも以前雑誌などで「桜が好き」と言っていた時期もあったので、雑誌等でその発言を見るたび、「も~~~!謙杜くんそれ私との匂わせじゃん!」なんてクソ発言をしていました。そんな、私と謙杜くんにとって()特別な花である桜がタイトルになった曲で、センターに立つ謙杜くん、も~~~~私信すぎん?急に頭が悪くなってしまいました。

 

 

 なにわ男子が歌う「Sakura」の好きなところは、言葉で遺すには少し難しい感覚的な概念だと思っていて、それ故になかなか文字に起こす気になれず、今になってしまいましたが、ようやく、私の中でわだかまっていたクソデカ感情が成仏された気がします。

 本当はもっと文学的に遺したい、遺すべきだと思うほど、この曲は特別なので、結局いつものおバカセンテンスになってしまったのは悔やまれますが、あくまで私の感情メモなので、何度言ったかわかりませんが、許してください。

 

 それではまたの機会まで。

 

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