「間違っちゃいない」世界がそこにあった
こんにちは〜
本日はWESTV!発売日ということで、開店と同時にCDショップ行って買ってきました…!
通常盤買うか迷ったんだけど、ユニット曲もいち早く聞きたいと思ったので、結局初回盤と通常盤買いまして
間違っちゃいない
久しぶり綺麗な涙を流しました
発売前の重岡くんのインタビュー記事や、かみちゃん・はまちゃんのコメント等を見た時点で、いやこれは大正解って、絶対間違っちゃいないって、期待値爆上げだったんですけど、
ほんとうに間違っちゃいなかった。むしろ、大正解
「間違っちゃいない」の感想を、文章に残しておかなくちゃと、居ても立っても居られなくなったので、お酒入った勢いでブワーします
支離滅裂な解釈だったり、筆者本人の主観全開の想いに「うさんくせえなあ」と思う人も無きにしも非ずだと思いますが、あくまで自己満ブワーなので
さて、はじめましょうか
涙 一粒
星降る夜に
光れない 馴染めない
なぜ同じ様に生きれないの
筆者、学生時代、オフィス街でバイトしていたことがあって、基本的には内勤なんだけど、たまーに外に出る機会があって、夜に外出ると、オフィスがキラキラしてんのよ。
東京では星なんて滅多に見れないけど、なんか当時のバイト時代のあのビルのキラキラを思い出したよね
気分が良い時に外に出ると、「ウワー!キラキラやー!写真撮ったろ!」てくらい綺麗な景色なのに、うまくいかない時に見ると、かなしくなる
同じ様に、生きているはずなのに、自分だって頑張っているはずなのに、空回りばかりで、まぶしく輝いている人たちがうらやましくて仕方ない
そういう時って、どんなに綺麗な景色でも、辛いんだよね、わかる
重岡くんも、こう思うこともあるんだ、あったんだろうなと、胸がジーンとした。
12/05追記:「光れない」っていうのが、最初聞いた時「惹かれない」だと思ってたのを思い出しました。みんなが綺麗だと言う「星降る夜」ですら、自分は綺麗だと思えない、という強がり的なところもダブルミーニング的な感じで盛り込んだのかなあ
予定詰まった
カバン捨てて帰ろうかな
眩しい近所の夜空
就職活動中を思い出した
一般的にみたら、わりとうまくいってただろう筆者の就職活動だけど、私なりにも辛いこと・うまくいかないことたくさんあって
周りがスムーズに進んだりしてるのを見て、焦って、落ち込んで
堅苦しいリクルートスーツにみんな同じカバン、全部投げ出したくなる時もたくさんあった
私が就職活動をしていた時に、この曲に出会っていたら、確実に就職活動のテーマソングになっていただろうし、絶対助けられただろうなあって
ラジオ(もぎ関しげりゅせ回だったと思う)で、しげらしいワードだよね、ってことで「近所」というワードを挙げていたんだけど、近所って、やっぱ落ち着く場所だと思うんだよ、それこそ街中より(彼らがどんなええとこ住んでるかは知らない)
そういう落ち着けるはずの「近所の夜空」でさえも、眩しく見えてしまう
「近所」てワードなんてありきたりなんだけど、そこに重岡大毅の世界観が詰まってると思うと、尊くて仕方ねえ・・・
間違い探しの世界で
赤ペン持つのかい
インクが足りないね
「間違い探しの世界」に対して、「赤ペン」を持たせようとする、それに対して「インクが足りない」と嘆く
うまく言葉にできないけど、重岡大毅の世界尊すぎる
12/10追記:小さい頃よくやってた間違い探しとか、今でもサ〇ゼのお子様メニューでやる間違い探しとか、そもそも赤ペンを持つようなものではないよね
ゲームとしての間違い探しって、「間違いが〇個あるよ!探してね!」ってかんじで、間違いに対して答えが存在する
でも実際の世界、間違いなんてあちこちにあるし、何が正解かなんて分からない
そういう世界に対して、赤ペンを持って、正解不正解を白黒つけようとすること自体が愚行なんだろうね
ゲームの間違い探しのように、正解と不正解って本当に紙一重というか表裏一体で、重岡くんにとっては、きっと、自分の信念を貫いた上でやったことなら何も不正解じゃないし、それでいるからこそ正解っていうのも曖昧な存在なんだろうなあ
だから、曲のタイトルも(安直だけど)「大正解」と言ったような、100%肯定じゃなくて、優しくふわっとした「間違っちゃいない」になったんだろうな
間違っちゃいないよな
君と出会ったことも
夢を信じることも
答えに牙むいてさ
何度も何度でも
さよなら上の空
僕は僕で僕なんだ
間違っちゃいない
間違っちゃいないんだ
「君と出会ったことも」ていうのが、自分のアイデンティティーを揺るがすような脅威的な「君」だと思うんだけど、「君」に出会ったことで自分の不甲斐なさとか感じることになって辛い想いをしたとしても、それも全部「間違っちゃいないんだ」
それに、このフレーズは、同アルバム収録曲『赤いマフラー』の「二人出遭わなければこんな苦しい思い感じなくて済んだのに」のアンサーともとれる気がして
完全に深読みすぎるし、全然そういう脈略はないにしろ、アルバムを順番に聴いていったら、なんとなく世界観というか流れというか引きずるじゃないですか
最後の最後で、『赤いマフラー』の主人公が救われた気がしてやっぱり重岡大毅尊いってなってる(それしか言ってないやんけ)
ないものねだり
タラレバを振り払う
朝の占い 横目で順位気にしてさ
人生うまくいってない時こそ、占いとか気にしがちじゃありません?
重岡くんも、もしかしたら、そうなのかなあって
朝、仕事行く準備しながら、め◯ましとかの占い横目で見て、おとめ座の順位がいいと、「今日こそはうまくいくかもしらん」て思ってたりするのかな
理想と現実で結ぶ靴ひも
歩けるかな
教えて近所の青空
はい、きた「近所」
でもその前にね、「理想と現実で結ぶ靴ひも」やで
「理想と現実で結ぶ靴ひも」やで??????????
どうしてそない素敵な言葉が生まれるの・・・
理想と現実って表裏一体で、ひとつの対象物にそれが反映されているっていう筆者のクソ持論があって、それを靴ひもに与える重岡大毅尊い
「近所の空」シリーズの見解については最後にまとめてやろうかな
ぐるぐる渦巻く世界で
君が花びら
花丸つくれるね
真骨頂
と感じたのは私だけでしょうか、無理です、重岡ワールド尊すぎる
自己否定してばっかの自分だけど、自分が認めてあげられない分、周りが認めてくれたって経験が筆者にもあって
毎日「なんで私って生きてるんだろう、死んだ方がマシでは」と、夜な夜な枕濡らした日々があったんだけど、実際死ぬなんてできない弱虫だし、一人じゃどうしようもできなかった時に、救い出してくれたのが、友人と母でした
「どんなあなたでも大好きだよ」
そういう、何気ない、さりげない言葉ひとつひとつが花びらになって、花丸になって存在が認められる気になれる
1番の「間違い探し」「赤ペン」とリンクしているんだけど、それを「花丸」「花びら」に変換してくるあたり重岡大毅とうとry
きっと重岡くんも、メンバーみんなと意見が合わなくて、凹んだときに、メンバーの言葉ひとつひとつが花びらになって、花丸になっていったんだろうなあ、嗚呼、尊い
間違っちゃいないよな
消えたくなった夜も
逃げたくなった朝も
まぁまぁカッコいいんじゃない
泣きたくて泣けなくて
“お疲れ”と夕日が ほら
君は君で君なんだ
間違ってもいい
間違ってもいいんだ
重岡くんには「夕日」が「お疲れ」と言っているように見えるらしい
絶対傍から見たらかっこよくない姿でも、「まぁまぁカッコいいんじゃない」と言ってくれる重岡くん、はまちゃん、かみちゃん、ありがとう・・・
「間違っちゃいけない、正しいことをしなくてはいけない」と生きている人が多い世の中で、「間違ってもいい」、それさえも「カッコいい」と言ってくれるこの曲、全世界の人に聴いてほしい、何か国語にも翻訳するから、勉強するから、どんな人にも当てはまることでしょう、みんな聞いてや・・・
あのお、そろそろボキャブラリーが壊滅的になりつつあるし、残りの部分は引用はしないつもりなんですけど、
冷静になんなんこの曲
全米が泣くよ???泣けよ
最後に、「近所の空」シリーズに対する筆者の考えを述べておこうかな
「眩しい近所の夜空」、「教えて近所の青空」、「目が合う近所の空」
最初は眩しくて、キラキラしてて、辛くなるような「夜空」だったのが、
問いかける「青空」になり、
最終的には同じ目線になって、しかも時間も関係なくなっている
自分からは遠くて、手を伸ばしても届かない存在だったのが、徐々に近づいて、「間違っちゃいない」と気づけたときには、同じ立場にいる
ライバルだったり、憧れだったり、それこそ1番サビ・ラスサビで登場する「君」にも通ずるところがあるのかなって
自分の存在を脅かすような存在だった「君」だけど、「僕は僕で僕なんだ」と、自分で認めてあげられるようになったら、きっと同じ目線で立てているようになったのかなって
アーーー無理、尊すぎるよ(n回目)
歌い方も、等身大の男って感じで、アコースティックだから結構切ない系かなって思ってたけど、わりとそんなことなくて、うん、名曲すぎる
全人類、この曲を聴いてくれ、そして「間違っちゃいない」世界を生きようじゃないか(中二病っぽい)
最後に、
私の人生に花丸をつくってくれた花びら、それは重岡くん、君だよ
素敵な楽曲をありがとう、アイドルでいてくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとう、重岡くんのママ重岡くんを生んでくれてありがとう、重岡くんのパパとママ結婚してくれてありがとう、重岡くんのおじいちゃんおばあちゃry
ryってもうかなり死語じゃない?時代感じるな(世代がバレそう)